ゆび姫ネイルサロンの『おまかせアート』ができるまで・・・
夢や意味合いを大切にしたネイルサロンの屋号
ある日、『ゆび姫®︎』というワードが天から降ってきた…26歳のワタシがワンルームでネイルサロンを始めようと決意した瞬間、ストンとそのワードが脳裏に降りてきたのだ。
『ゆび姫®︎』とは『限りなく小さな額縁、そうゆう爪の中に大きなアートの世界を作り出したい…』がコンセプト!
おや指姫のたどった人生のようにアートの世界は無限大!という意味合いを込めて名付けたのが始まりである(YUBIHIME®︎自身の身長も145cmと小さいことも結びつけている)。ゆび姫®︎ 商標登録第6745661号
この上下、2枚の画像は過去のホームページで使用していた画像でワタシがコラージュ加工して作ったもの。今見ると雑で下手くそである…
でも知ってほしいワタシが人よりこだわりが強いという事を…このホームページや広告、ロゴなどもこだわりが強い為、全て自分で作るようになってしまった…(専門の先生に整えてもらうけど…)
業者に外注したことなど一度もない。多分日本中で一番おかしなネイリストw
ワタシの事を『器用貧乏だ!』と笑ってくれてもいい。だが、裏方の方が向いているのかもしれない。最近ではどっぷりサポートすることに使命を感じているのだ。本当は第一線でアートだけの作る人になりたかった。(2024.12.8記)
『おや指姫は小さな花の中から生まれました』とあるように
『ゆび姫®︎』のコンセプトはおや指姫から連想してほしい
なぜなら…小さな頃、ワタシは生まれつき体が小さく、色黒で髪の毛はくるくるの天パ。雨漏りのするトタン屋根の貧乏生活。いつも虐められやすく、人と同じようにできないのが悩みだった。全てがコンプレックスの塊で自分というものを出さないようにこらえて過ごしていた。
唯一、ワタシが救われたのは子供番組の亜土ちゃんの絵描き歌の時間。亜土ちゃんは子供のワタシの憧れの存在だった…。
亜土ちゃんのことが大好きで大好きで、子供の頃の夢は『絵描きになりたい!』そう母にいうと、『そんなのほんの一握りしかできないから、あんたには無理よ!』と子供のワタシを地獄に突き落としたのは母だった。
ワタシの母はすごく変わった人でド田舎出身なのになんだか派手で…ワタシのマインドや美的センスはほとんど母仕込み。そりゃ〜もう嫌になってしまうぐらい・・・!!
(母:NOBUKO/2018年スペインにて↓このTシャツはShopで販売中!)
直感と笑顔で運を切り開く方法
ワタシは母の教育方針と安定思考が強く影響され、洗脳されw、理科の先生になりたいと普通校から頑張ってFランの私立理系大学へ進学したが、やっぱり個性が強すぎて大学卒業が近づくと進路を悩むことに…それはちょうど就職氷河期と言われた時代で…(本当は大学2年時に服飾デザイナーになりたいと両親に言ったものの。卒業だけはしなさい!と言われ夢を断念した)
洋服やファションが好きだったワタシがもちろん就職したいと思う企業ななく。自ずと就職活動もせずにプー太郎(無職)になった。そして、『夢探し』と言い訳し友達や親戚のところを転々と東京と大阪どっちに住むか?で迷いながら放浪するも約1ヶ月で所持金がつきた。
結局、行きついた先が福岡のとある街で泣く泣くアルバイトを探しはじめたのだ。
an(アン)というアルバイト情報誌が駅のホームに捨ててあり、おもむろに開くとそこには『スタイリスト募集:服装自由!』とあったのでこれだ!と思った!!いつも直感だけは人並み以上に働いてしまうのだ!
当時、世間知らずだったワタシは『スタイリスト』が洋服の提案をする仕事だと思い、すぐ飛びついた…めっちゃ馬鹿だった・・・。
面接に行った美容室は『PLUG:プラグ』というそのあたりでは有名で大きな美容室。天井には銀色のダクト風の配管や剥き出しの配線にごつごつした壁、まあるい電球がぐるりんと張り巡らされた近未来的なヘアセット。青や黄色を基調とした個性的なインテリアで2階にはDJが『ずんずんっ♪』と大きな音を鳴らし、まるで別世界に入り込んだような場所だった。
扉を開けたとたん、PLUGの美容師たちがいっせいにこちらを向きワタシを睨んだ。信号機が村に一つしかない田舎出身、Fラン大学出のワタシは美容業界とはかなりかけ離れた存在。でもなぜか身なりは、誰よりも奇抜だったので後から美容師が面接に来たと噂されていたらしい…。だからだろうか?面接場である2階に丁重に通された。
『嗚呼、かっこいい〜こんな異世界でお洒落な場所で働きたい!!』と欲望と期待でハアハア興奮した。
緊張でひきつりながらも、もう笑う事しかできなかった。ワタシはいつもピンチの時ほどニヤついてしまう変な癖がある。
『きっとスタイリストってかっこいい仕事だろうな〜〜ハアハア』
ところが面接で『髪を切る人のことをスタイリスト』と初めて聞かされ落胆↓↓
もう恥ずかしくて、いてもたってもいれなくなり立ちあがろうとした瞬間!パンチパーマのマヌカン風おばちゃんマネージャーがこう呼び止めた。
『アナタ。笑顔がとてもいいわ〜受付として。ね?いいんじゃない〜〜』隣にいたロン毛ソバージュの男性マネージャーも『うんうん。。』頷いた。
急に運命が回りだした瞬間である…そんなわけでこれが美容業界に入るきっかけとなりワタシは美容室の受付として働くようになった。
下の写真は24?25歳ぐらい、美容室の受付をしながらネイルを習い始めた頃の写真である。流行りのマッシュルームカット、美容室に勤めて一番よかった点は好きなファッションや髪型が自由にできた事。ワタシはこの頃から金髪がトレードマークになった…。
本物の先生は謙虚、デモでネイルを夢中にさせた!!
当時のネイル業界はまだ、浜崎あゆみちゃんも倖田のくっちゃんもいなかった時代で、ネイルの技術もまだ今みたいに完全に確立されていなかった。(ワタシのネイリスト1級ディプロマの番号はまだ100番代だ)
美容室の受付をしながら美容師たちの作り出すヘアスタイルに終始見とれた。それは全てアート作品でお客様1人1人に似合わせる技と美的センスにどんどん引き込まれていった。こんなこと今まで経験した事なかったキラキラした世界…。
『受付だけではだめだ!ワタシも何かを作り出せる人になりたい!』と強く思うようになった。すると急に引き寄せるかように受付カウンターにあったFAXが鳴りだした。
『ウィイイイイイ〜〜ピロピロロロr〜〜〜』←FAXの音…
そこには九州初上陸!ネイルスクール受講生募集!!の見出しでFAXの口からレロレロと薄い紙が吐き出されれた…。ワタシはそれをシャーっと破りとり、かぶりついて見た。
『こ・これだ〜〜!!絶対コレ!習いたい!!』
コレがきっかけとなりネイルの道に進むわけだが、こんなにどっぷりハマってしまったのはネイルの先生(師匠)に出会ってしまったのが一番の理由だった。
最初のスクール開校の日。自己紹介にどどーんと現れたのは、
『え?男!?』
ネイルは女性がするものという固定概念が一気に崩れた瞬間だった…。
ワタシの師匠(左)は宮下賢一先生(以下M先生)。日本で唯一メンズでグランドチャンピオン(日本一)をとった有名な先生である(2023年現在)。(右下)白いシャツを着ているのがネイルの神さま:トム・ホルコム氏
M先生は週に1回、神戸から福岡まで新幹線でネイルを教えにきていた。(当時は教える人がまだそんなにいなかったんだろうな)
自己紹介で現れたM先生の出立ちは。シュッと綺麗めな格好で短髪黒髪。銀色のアタッシュケースを右手に持ち、いかにも胡散臭そうなマジシャン風。
『俺を先生と呼ぶな!』と謙虚な言葉を偉そうに関西弁で言い放った。『集まってや〜〜』と生徒たちをハーレムみたいにテーブルに取り囲ませ、いきなり『デモを始めまあ〜す!』と銀色のアタッシュケースからぽんぽんとネイルの材料を取り出した。
並べられていくのは見た事ない包み紙の容器たち。習字で使うような筆や、くーーさい紫の液体や変な薬?と思わせるような白い粉。なんの芸が始まるんだろう??とワタシはドキドキし最前列にくい込んだ。
まるで板前さんが綺麗なまな板でお魚をさばき始めるみたいなテーブルセッティング。今から外科手術をします!『メス!』たいなピリピリした空気が漂った…。M先生はジャラジャラと銀色の指輪を色んな指から外すと見たことない魔法を使い始めた…。
そのデモは魔法みたいに一瞬の事出来事のように感じた。M先生の手から作りだされた人工爪は冷たそうに真っ直ぐで奥から発光するようにコワンと光った。人工爪の横顔は新幹線のように早そうで、本当に指から生えているようにスムーズで機械的。ネイルモデルをした子のブサイクな爪が短時間でシュッと長く作り出されのだ。
『スッゲーーー!!』『きゃーキレイ〜〜!!』みんなが歓声を上げた。
『ワタシもコレできるようになりたい!面白そう〜〜。』ワタシは宝物を見つけた子供のようにワクワクが止まらなくなっていた。
でも…M先生はどうして?『俺を先生と呼ぶな!』って言ったんだろう??こんなにすごい爪を作るのに…?その頃のワタシには全く理解できなかった。理由はM先生は現役ネイリストだからという意味らしかった。たぶん。今度あったら聞いてみたいものだ。
アクリルスカルプチュアのフレンチってこんなやつ。2017年にM先生に久しぶりに再会しデモでつけてもらった爪で。福岡に帰ってきて写真をとったから角が欠けて完全なスクエア(四角)じゃなくなっている…。作りたてはもっとビカビカ。
フレンチルック:ピンクと白の境目部分がにんまり笑っていることから境目をスマイルライン。ピンクの部分はアーモンドシェイプと言われ、形はシンプルに見えるけどネイル技術の最高峰で美の極みの人工爪。
M先生は世界的に有名なネイリスト:トム・フォルコムの弟子で、すごい先生だと後からになって知ることとなる。ネイルの魅力に取り憑かれたワタシは週1のスクールがとても楽しみになり、誰よりもできるようになりたいとかなり練習した。(負けず嫌いな性格)
生徒さんたちは6人ぐらいの小クラス、みんな美容師や受付さんたちばかり。その中でも金髪モヒカンで奇抜なワタシはかなり浮いていた。近所のお兄ちゃんに話すみたいにワタシはタメ口でM先生に何でも質問した。今考えれば無礼すぎて無知ってホントに恐ろしい…でもM先生は威張ることなく、ワタシの良いところをたくさん褒めて伸ばしてくれた。M先生だったからこんなにネイルが好きになったのかもしれない。
【ネイルスクール当時のテスト採点表】3級レベルの技術のテスト:ペーパー60点満点中54点/実技40点満点中35点 合計89点(優秀なほう)だったらしい。M先生、意外と字が綺麗…wステリジャーが時代を感じる。(ステリライザー:甘皮を切る為のニッパーを消毒するエタノール入りの容器のこと)
【1998年代当時スクールの教科書】
時代が3周回ってカッコよく感じるのはワタシだけでしょうかw オデコにキスがなんとも言えない〜YMO・坂本龍一っぽい。(昭和)
昔はネイルアートって結局センスだよ!って誰も教えてくれない技術だった。当時はマニュキュアかアクリルスカルプにアクリル絵の具で描くネイルアートが主流で…ジェルはまだなかった時代。ハードジェル(爪から取るときに使い溶液:アセトンで溶けないもの)がもともとあって、アセトンで解けるアクリルスカルプチュアは画期的な商品だとか聞いたことある。今はほとんどがソークオフジェル。でアセトンで溶けるやつだ。(ノンワイプトップは溶けない)時代とともに材料の開発は止まらないよね。
技術の自信の無さは料金にあらわれる
スクールも卒業に近づいた頃、もっと上の技術を学んだらどうかと先生に進められたが、若かったワタシはそれ以上、上のコースは学ばず、そのまま美容室の受付に戻った。ネイルスクール習い始めの意気込みはどこにいったのだろう…?たぶんその頃は恋愛がしたかったのだ。
美容室の受付として過ごしていたある日、店長が受付カウンターにハサミを指でくるくる回しながらやってきた…
『お〜〜い。なを子お。あの人待たせてるからハンドマッサージしちゃらん?』
その頃、天神の美容室は『カリスマ美容師』が大ブームでてんやわんやの大忙し。店長の予約票はもう欄をはみ出して蛍光ピンクのマーカーが全ての時間を塗りつぶし重なりあっていた…。
ちょうどワタシは受付カウンターで前日オールのカラオケが効いたのか、白目で後ろに倒れそうになっていた昼下がりの時間帯である。
店長はお客さまをかなりお待たせしているからハンドマッサージで時間稼ぎをしたいらしいのだった。半ば強制的にやれ!とアゴで行け!と促され、ドキドキ、お客様に施術に入ることになった。
『し、失礼しま〜〜す。』
おずおずとお客様の横にコロコロ椅子を滑り込ませながら挨拶をした。この時、自分が小さくてよかった〜と感謝したのは狭い隙間にすっぽり。入り込めたからである。てるてる坊主みたいな長いクリーム色のカットクロスをふわりとまくってお客様が手を差し出してきた。
『あら。ハンドマッサージしてくれるの…?』
見るからにお金持ちマダム風のお客様だ。『し・しつれいしま〜す。。』と、ふあふあした白い手にさすさすとローションを伸ばし、ワタシはリズミカルにマッサージを始めた。強弱をつけたり大きくストロークをさせたり、マッサージする方のワタシの手も綺麗に見せないといけないコツがあって上品でうっとりタッチが必要とされる。雑巾絞りをするような、それでいて船を漕ぐような動きで大きくストロークを繰り返した。お客様を⦅ああ眠い。。⦆とコックりさせないといけなくて、スクールで習った通りに必死だった。お客様の血流がうまく流れ出すとこちらの手もポカポカしてきた。マッサージが終わるとホッとタオルで蒸らしながら軽くローションを拭き取った。
『ありがとう。とても気持ちよかったわ〜。』お金持ちマダムはにんまり微笑んだ。
施術を終えて、『ふうーー。』受付カウンターに帰ってきたワタシ。どーっと疲れていたが、お客様も気持ちよかったと喜んでくださったから。あーよかったよかった!!胸を撫で下ろした。
・・・
しばらくして、そのお客様が仕上がりのセット面に通されてきた。店長が口パクで何か伝えてきた。
『なを子!マッサージ代もらって!!』
店長はお客様からマッサージ料金をもらうようにワタシに伝票に書くように言ってきたのである。オーマイゴー。自分で料金を決める?難しい・・・え?というかワタシってもうプロ??スクール卒業したばかりだからお金なんてもらえないんだけど〜〜〜って
『えええええ。無理無理!』とワタシは大きく首を振った。
お客様はお会計の時に『本当にいいの?』とおっしゃった。
『お金はいらないです!まだ半人前なんで!』とワタシは技術に自信がなくてお金をいただくことに後ろめたさを感じてしまったのだった。
これはネイリスト卵なら誰でも起こる事でスクールを卒業したらもうプロなのか?検定合格したらプロなのか?お客様に入ったらプロなのか?ネイリストは国家資格でもないし…。いつからプロなのか?自分で判断するにはとても難しい。誰かに『あんた上手!もうプロやね!』って言われてもなかなか技術って自信がつかないもの。
同じように悩んでいる方に言いたい。ネイリストとしての自信はお客様に何人入ってもつかないもんだ。検定だけとっても自信には繋がらならない。自信ができても一時的なもので、人に教えることでだんだんついていく。インプットばかりじゃ駄目アウトプットすることが大切で技術UPには終わりがないものなんだ。その都度、自分で自分の値段を決めればいい。高い安いと感じるのはお客様の方だから。次のご来店があるかどうかで自分の値段決めすればいい。それはお客様を逃すかもしれないけどそれが一番の近道になる。そんなこと今のワタシがその頃のワタシに教えてあげれたらよかったのに…。
【まだ美容室の受付時代の写真】ネイルスクール生の頃のワタシ(左)ABC:アジアビューティコングレス(西日本最大級の美容イベント)にネイルアート部門で出場。惜しくも4位:この時の審査員はトム・ホルコム氏とM先生だった…。
アートテーマ『棘:トゲ』黒夢の清春が大好きで昔から好きな歌のイメージやテーマでインスピレーション的にアートを作っていた。(黒夢の歌に棘ってある)
髪型はソフトモヒカン。モデルさんの髪型は針金でぐるぐる巻きでおっ立ててます!(リキタケチーフの作品)衣装もメイクも全てワタシの手作り。(コートはモデルさん私物)
この時もらった。審査員トム・フォルコン(故)のサイン入りのバッファー(トムのブランド:ez-flow:キラーホエール)は家宝w
ワタシの美容室時代のあだ名は『なを子』(研ナオコさんに似ている為、美容室の店長が命名)
『Naoko,good Luck,Thank you so much stay cute.Tom Holcom』
M先生が『俺の生徒だと』紹介してくれたからもらえた一品である…。
社会不適合者(HSP)がネイルサロンに入ると失敗する!
ワタシは美容室でお客様にハンドマッサージをするようになったが、楽しいと感じるよりどんどん悩むようになっていった。値段もいったい幾らもらえばいいのかわからなかったし…。
悩みの原因がハッキリわからずにM先生に電話で相談すると…『サロンワーク(技術)はネイルサロンでしか身に付かんわあ〜〜』と先生の口利きでネイルサロンに就職させてもらえることに…。
しかしそこで待っていたのは壮絶な虐めだった。美容室に入りたての時もなかなか仕事を覚えることができずはじめの頃は虐めにあった。特に受付の電話応対がやばかった、電話の声を聞こうとすればするほど周りの音も全て大きく聞こえだす。そんなわけでお客様からの電話に出るのが苦手だった。今思えば確実にHSPの体質の兆候である。
そういえば大学時代もアルバイトはいつもクビ。なぜだろう?目上の人やお金持ちには好かれるのに、なぜがパンピー(一般の方ら)には虐められる性格なのか??まじで生きにくい…。
社会不適合者(HSPの人ごめんなさい)のワタシは自分の好きなことしか頭に入ってこないタイプで。特にみんなと同じようにしなければいけないとかルール(制限)があるのがとても苦しくなってしまうのかもしれなかった。。(だから独立を選んだ。)
美容室ではそんな性格を周りに理解してもらえるようになったからのびのびと仕事ができていた。でもネイルサロンの世界は妬みや嫌がらせ、足の引っ張り合いがすごかった。←これは後から知る。
みんなM先生に気に入られたい信者の集まり(キモ)女だらけのネイルの世界は恐ろしい…。今だからここにぶっちゃげる。
1番酷かった虐めはお客様の前で怒られたこと。今でも忘れないけどまだ研修期間なのにサロンワークを教えてくれることもなく、吊し上げるように小さな失敗をネチネチと言われた。ワタシに恥をかかせたいのか、いきなりお客様の前に座らせ『はい。やって!』とA店長は無茶ぶりをした(顔は恐くてゴリラにしか見えない…。)
その時のお客様も嫌な顔をしてワタシから目を逸らした…。今でもそのA店長のことは忘れない。ワタシは小さい頃からこんな目にあい続けているから不思議だ…。なんでだろう?疲れる人生。
次にやられたことは『はい!アート描いて!』といきなりお客様をふられたこと。でも、アートは得意中の得意だったのでサラサラ描いてのけたら、その後もっとすごい虐めにあった。
その当時のネイルサロンにはハートの形のチップスタンドに20本ぐらいネイルアートの見本がずらりと用意されており(今のセット割りみたいのは無い)、お客様はそれから好きなのを選んで、本数によってネイルアートの値段が加算されるシステムだ。
A店長はくるくる巻き髪を振り乱しながら怒鳴った。椅子にふう反り返った体勢でワタシを下から睨みつけ。長い爪でピシッピシッと机を叩きながら、『あんた、アートになると人が変わったようになって!!』
『あんた!ネイリスト向いてないないんじゃない!』
ひどい言葉を浴びせられた。にかく何が何でもワタシが嫌いだったみたいで。なんとも怒りの原因はワタシが見本よりも上手くアートが描けたのが気に入らなかった様子だった。
でも『ネイリストに向いてないんじゃない!』っていう恐ろしい言葉はワタシの心にグサリと根深く刺さった。
その言葉はぐるぐると頭の中をめぐり、いつも通勤帰りの新幹線では泣いていた。絶対!いつかA店長を見返してやる!と誓いながら歯をくいしばった。弱いものを虐める人が1番弱い人。ワタシはそれから自分より下の後輩や初心の心を持った人には優しくしようと思った。
ネイリストに向いているか?向いてないか悩んでいるあなたへ
『ネイリスト向いてない子』のレッテルを貼られたワタシが次に飛ばされた先は、B店長がいる店舗だった。
切り札にしていたM先生はエリアマネージャーとして時々、九州の各店舗に視察にきてくれていた。でももうワタシが仲良く話しかけられる存在ではない、雲の上のような人だったんだ…とその時気づいた。これからは自分の力でやらなきゃ、M先生にもう頼ることはできないと心に誓った。
飛ばされた先のB店長はA店長より優しかったのでちょっと仕事場に行くのが楽になった。でもちょっと?と書いたのは。実は同僚と人間関係がうまくいかなかったからだった。
その同僚は人によってコロコロ態度が変わる人だった。HSPのワタシは敏感なので人よりいろんな人間の粗に気づいてしまう。同じように感じやすい方、アナタも人間関係が気持ち悪くならない?
そのころのワタシは自分がHSPって知らなかったから本当に辛かった。自分の中で間違った事をしていないのに。人って汚いな〜って思うことが多かった。目先だけのこと自分の私利私欲で動いてる人ばかり。道徳心?心がない人が多い。
ワタシもそんなに清らかな方ではないが、人間の汚いところについつい気づいてしまう。本当に生きにくい、特に日本は顔や言っていることが腹の中と違いすぎる!
その同僚は、偉い人にはぺこぺこ低姿勢でいるくせに、後からその人の悪口を言ったり見下したりと。人の気持ちに特に敏感なワタシはそんな彼女の態度で嫌な気持ちになった。結果、この人には絶対に本当の自分を出さないようにしようと予防線を張って過ごした。だから、サロンワークがすごく疲れた。
ネイルサロンの人間関係ってめっちゃ面倒。お客様との接客はすごく好きなのに!!
ある日、だらしない店長がワタシにアートの筆をくれた。ちょうどネイル検定試験を受けようと練習していた時だったから嬉しかった。
B店長は自分が得意なフットのサロンワークをワタシに伝授してくれたり、空いてる時間には練習でワタシの爪にアクリルフレンチを作ってくれたりとたくさん無性の愛をもらった。ネイリストとしてあんなに泣いて自信喪失していたワタシが続けられたのも、優しいB店長のおかげだったと。(本当はM先生が裏で動いてくれていたのかもしれないけれど…)
ワタシはお客様にフットをする時、生徒さんに教える時、赤い筆を握る時いつもそのB店長の事を思い出す。『ありがとう』っていつも思う。こんな精神をくれた憧れの店長だった。ワタシもこんな与えれるネイリストになりたいと思った。
これは開業して(大名店)35歳ぐらいの時でしょうか?覚えがない…この赤い筆は精雲堂(せいうんどう)
もう今では廃業された為、手に入らなくなってしまった。ワタシの生徒さん達にはみんなこれを使ってもらうようにしていた。基礎のブラシワークや3級の検定用の5枚花を描くには1番適した筆でとても描きやすく大好きな筆だった。ワタシはこの筆を使ったからネイルアートチャンピオンがとれたと思っている。とこれも家宝の一つだ。
まあるく囲んでるチップは生徒さんたちの作品。3本の方はワタシがデモで描いたチップと精雲堂の筆先。
ネイリスト検定合格すると人の裏が見えた!
その頃、ネイリスト検定試験の存在があると初めて知った。まだネイリストデビューして1ヶ月ぐらいしか経ってない頃の事。昔(1999年ごろ)は1級の滑り止めに2級を同時に受けて良かった。(ヤバイ、歳がバレるw)1級試験はわざわざ大阪か東京に行かないといけなかった。
所属するネイルサロンは全国展開の大手ネイルサロンだったので、スクールやネイリスト協会とも連携していて。検定対策(合宿のようなもの)があった。ワタシは見かけからか周りからは絶対落ちると思われていたようだったが。昔から本番に強いタイプなので奇跡的に1、2級同時合格してしまった。
そのあたりから同僚の態度がコロリと変わりだした。ワタシにゴマをするようになった。それが気持ち悪くて…。底辺にいると人の裏がよくわかる。社会に出たらこんな人だらけだ、でもなぜかワタシは運が良い。そんな人は自然と周りによってくなくなる。敏感なアナタも人によってコロコロ態度を変える人には気をつけて。
サロンワークの醍醐味とは?
そのネイルサロンは売上が悪かったので撤退になった。ワタシは天神のど真ん中の少し単価が安めの店舗に移動になる。
次の店舗にいた店長は自信がなさそうなC店長だった。その頃は店長でさえまだ検定1級を持ってないような時代だった。そのサロンで1級を持っていたのはまだワタシだけだった。自信がないからか優しいのか?でも、1番サロンワークの流れを親身に教えてくれたC店長だった。そしてワタシはこの店舗でサロンワークの段取りやチームワークみたいなことを教わることになる。
新しくT姉という先輩が同僚にできた。T姉はスクールではワタシの一つ下のクラスになるが、サロンワークでは早く入社したから先輩でもうチーフという肩書きが付いていた。ワタシはそのT姉とサロンワークに入るのがとても楽しかった。なぜならとても気があったから!
昔のネイルサロンにはビデオもネットフリックスも無い!ガチでトーク接客だ。ネイリストはお客様の爪を綺麗にするだけではなく。トークで盛り上げたり、相談にのったり人間関係や信頼関係を築くのがもっとも必要だった。ここでの経験がネイリストとしてのワタシを最も大きく育ててくれた。
T姉はチーフとして司令塔のように、自身もサロンワークしながらいつも周りを見ていた。ネイリストたちスタッフの事もお客様の事も。C店長よりも縁の下の力持ちとはこういう人の事を言うのだと思った。例えば、ワタシがネイルアートが得意だったのでお客様をチェンジしてくれたり(その方が早くお客様の回転率が上がる)そして1人のお客様と右と左で同時施術をしてボケ(ワタシ)とツッコミ(T姉)担当で大爆笑したりと。ネイルサロン自体は指名制ではなかったがC店長よりワタシの方がどんどん指名が増えていき、ワタシはお客様を回す(回転させる)ようになっていた。
実は、とても高度な技術を必要とするネイリストという仕事
今では誰でも開業できます!副業できます!とネイリストという職業は人気だが。実はめちゃくちゃ高度な技術を必要とされる。なぜなら、手と口がまったく別人格になるからだ。口ではいろんな事を話すが、頭の中では時間短縮やデザイン、単価UP、次回の提案。お客様との接客に気を使ったりと右脳と左脳をフル回転!
それでいて右左の手も全く違う動きをする。左手はお客様の手を支え、削ったり塗ったりしやすいようには常に角度を動かさないといけないし、支えるだけではなくお客様の指にファイルやバッファーが摩擦であつくなったり、ケガをしないようネイリストの指でカバーしたり。そしてもう片方の右手(左利きは逆)は薄い甘皮を切ったり(一瞬でも気を許したら出血)、アートの細いラインを描いたりとても繊細で複雑な仕事なのだ。
こんなに大変な仕事なのに今のネイリストが安賃金なのは本当におかしいですよね?ホッtpペッパーさん?!そして、副業ですぐできる、すぐ稼げる!という広告の悪徳スクールに通っているネイリスト卵たちの事がワタシはとても心配になる。こんなネイリストの現場や現実を全く知らないからだ…。
写真はネイルサロン勤務時代の先輩同僚のT姉の手。ワタシが認定講師試験を受けるときに練習台になってくれた(2017年のこと)久しぶりに会って昔話で大爆笑w
T姉の爪はめちゃくちゃ美爪、でも親指がBigサイズで作るのめっちゃ難しかった…とにかくフレンチ作るのが苦手なワタシ。スマイルラインバラバラ…w(キチンとさんが苦手)
日本では指の骨に沿ってまっすぐつけるのに対して海外では爪なりに沿ってつける。日本では手を全体的に綺麗に見せたい傾向にあり、海外では爪のことを考えてつけるという違いがある。(文章だけで意味わかる?爪ってよく見るといろんな方向に向いてるよね。)
ネイリストとして独立を考えはじめたら?
サロンワークでお客様を回す(回転させる)ようになるとどうなるか?ワタシはみごとに天狗になっていた。指名のお客様も C店長よりワタシについていたし。自分にお客様がついていると思っていた甘い考えのワタシだった。
そしてこんな事がさらに背中を押した。
ABC:アジアビューティコングレス2000のネイルアート部門で準優勝
これがネイルサロン時代の制服。シャカシャカエプロンの下はアセモで痒い。眉毛の細さが時代を物語るよねw
またこの時も嫌がる弟(右)をネイルモデルに借り出して…本番は練習よりも上手に描けなかったなかった為、さっさと自宅へ帰った。表彰式で名前を呼ばれてもワタシがいないと大騒ぎ!店長から『あんた!今!何処?!』お叱りの電話があった。この時は準優勝だったけど。1位がとれないと意味がない、自分のベストが描けないと嫌だった男前なワタシw(左)
アートテーマ:白鳥の湖の王子さま
10本全てフラットアート(アクリル絵の具)で描きあげた。衣装は弟の私物のモッズスーツにレースをぐし縫い、ハットに羽をつけただけの簡単スタイルw
コンテストで入賞したワタシにコロリと態度を変えたのはあの虐め倒された大っ嫌いなA店長だった。ワタシに媚びてきたが無視した。ほんとこうゆう人はわかりやすく態度を変える。この時ばかりは鼻をあかしてやった。せいせいした。ただ、もうこのネイルサロンに未練はないと考えが変わりはじめた。
なぜなら、ワタシはこのネイルサロンで働いている間、ずっと本当の自分を押し殺していたのに気づいたからだ。ファッションが大好きなのに通勤は黒いシャツにシャカシャカエプロン。普段着でも全然オシャレがわからなくなっていた。入りたての頃は首にバンダナを巻いてみたりと制服でも自分の個性を出そうと必死にもがいていたが。サロンワークの過酷さがオシャレをすることを奪っていた。左手は腱鞘炎で痛み、マニキュアの蓋が開けられないほどに。よくわからない手首の腫れがずっと引かなかった。病院に行ったらこの仕事を辞めないと治らないと言われたほど。
アクリルスカルプチャーの削りダストが舞って目は常にゴロゴロし、大好きなカラーコンタクトはできなくなった。肌はざらつき。喘息も酷くなっていた。ネイリストが過酷すぎて辞めようかな・・・とまで思った。
『もしワタシだったらこうするのに…』と毎日思い続けて爆発しそうギリギリのところに来ていた。
もしワタシがネイルサロンをするならこうしたい!!
日本のネイル文化はアメリカから入ってきた流れがある。ネイル検定の教科書にはここまで詳しいネイル業界の歴史や流れは書いてないと思う。大体、当時の大手のネイルサロンはとにかくアメリカちっくだった。座っている椅子やテーブルの形は無機質で大ぶりで全くワタシ好みではなかった。
あと制服も大っ嫌いで、ネイルダストがすぐ払えるようにとあつらわれたナイロン制のエプロンはずっと座っているとお尻や足の間、お腹周りがサウナ状態。着心地も悪いし、肌も敏感だし、人と同じファッションが大嫌いなワタシはいっつも窮屈な思いをしていた。
1番嫌だったのは見本のネイルアートから選ばせるシステム。ワタシはその時々でお客様のイメージに合う色、ファッションに合うネイルアートが描きたいと常日頃からイライラしていた。だってその方が高単価にすることができていたから、C店長の目を盗んでワタシは見本にないオリジナルのネイルアートをお客様に施して単価UPしていたし、そしてそれで指名をつけていたからだ。お客様の方から、『え、すごい。もっと描いてください!』と追加料金いただくのが普通だった(昔は前料金が普通だった:施術がアクリルの上にマニュキュア塗ってアートを描くから乾かない。ネイリストがお財布をお手伝いしないといけない。)ネイルサロン雇われ時代はみんなと同じようにしなければ足を引っ張られる。目立つと虐められる。なぜならワタシがお客様を総取りしてしまうからだ。ネイルサロンに雇われでいた時は、この臨機応変が自分の武器なんだと気がついた。
と、ちょうどその頃のタイミングで母が病気になり実家に帰ることになり、大手ネイルサロンを退職をする転機となった。
ゆび姫®︎ネイルサロンをマンションの一室でオープン
母の病気がよくなりしばらくしてまた福岡に帰ってきた。その時のワタシは0からのスタートでもう何もなかった。でも、自分の中で3択の選択があった。ワタシはノートにこれを書き出した。生徒さん達にも教えているが、この目標や迷いをノートに書き出すことは『可視化できる』のでかなりお勧めだ。紙に書いた方が脳が勝手にインプットし潜在意識が動き出して夢が叶うように誘導してくれる。ワタシはこうやって夢を一個ずつ叶えてきたから嘘はつかない。もし、やり方がわからないネイリスト卵がいるならネイリスト占いから予約してほしい。診断しながら目標に導くサポートをしている→Instagram:@murasakiyubihime
ワタシがノートに書いたのはこの3択だ!
1.ネイルサロンを自分でする。
2.ネイル講師として働く。
3.海外へ行く。
このどれもやってみたいことだった。なんとなく目標みたいなイメージである。まだ26歳(2001年)の頃。ネイルサロンに再就職はもう絶対に嫌だと思った。なぜなら、ネイル業界や人間関係にゾッとしていたからだったし、なんか決まりきったシステムが嫌いだった。ネイルサロンは奴隷みたいに感じていた。でも接客やネイルの技術は好きだったから、ネイルの仕事は続けたかった…。
まず、2のネイル講師の面接を受けることにした。ところが面接を受けに行った時に全然キラキラしなかったのだ。置いてある教材も時代遅れの古いものばかり、飾ってあるアート作品もあれまあ、レベルの低さを感じた。そのスクールからは採用OKをいただいたが丁重にお断りした。
そして3.の海外へは正直お金がなかった。
残るは1.ネイルサロンを自分でする。という選択肢しか残されていなかった。
テナント、お店を借りるそんなお金や知識は全然なく。自宅マンションの1室でネイルサロンをやってみよう!となぜか思ったワタシだった…。
20年以上前。当時はネイルサロンの出し方、Netも本もない時代…。頼る人もいない全く手探りの状態でスタートした行き当たりばったりなホームネイルサロンがゆび姫®︎だw
コンセプトはゆび姫®︎
何処にもないネイルサロンにしたかった。とにかくワタシの夢をガーンとテーマとかコンセプトとかその当時は何もわからないから、好きな物を飾ったり並べたり、お金がなかったから幼少期の貧乏時代に培った工夫と自分のセンスしか頼る物がなかった。
ゆび姫ネイルサロン(警固店)2001年
写真の日付が2003年になっている。オープンして2年?の写真のワタシはお姫様カットしているw この頃はもうお客さんがお客さんを連れてきて朝から深夜まで働いていた。まだネイルテーブルが初代の物(アメリカのビンテージ)ワタシはとにかくインテリアが好きだったのでサロンにはシャンデリア、ヨーロッパの古着(エリーキャットで購入)ドレスをボディに着せ。お客様の手の写真をカラーコピー、フリフリレースで周りを飾った額縁。額縁も本気のやつは高いからパズル用のを縁をゴールドのスプレーで加工。右の棚もゴールドのスプレーで自分で色付けしたもの。
ネイル枕もお裁縫が得意なので全て手作り…
ネイルサロン時代には200本ぐらいのマニキュアの中から選んでいたけど。初めはお金がなくてマニキュアが数本しかなかった。繁盛していくと共に大好きなアナスイのマニキュアをちょっとずつ増やしていった。棚も全部手製DIY(なぜなら賃貸マンションだから)
右のカーテンの向こうは冷蔵庫。冷蔵庫の上にはクッキーの缶がレジがわり、金庫もないこの無防備さw
下にちらりと見えるはとても小さなブラウン管TV(昭和だね)。上に乗ってるのはJ:COMの機械かな?
アクリルする時は換気扇(写真左上)を回した狭いからすぐ下にはネイルテーブルがある。簡易的な集塵機と空気清浄機がわりw
お客様用椅子1号は座りごごちを重視した姫ピンク(これだけはこだわった)水色クッションは手作りw/鏡は福岡では有名なレイメイ(輸入姫家具が売っているおばちゃんの聖地)で購入。とりあえず『鏡よ鏡…この世で1番美しいのは誰?』みたいな姫な感じにしたかった。丸い貝のライトはお客様からのもらい物。人形は『マリコ』ワタシが生まれた時に叔父が買ってくれた唯一新品でもらったオモチャはコレだけ。『マリコ』は実家の子供部屋から持ってきた。
ネイルサロンはできたけどお客様がいない問題
オープンして一番最初はお客さんが全くいない!これは結構悩んだ、でもあるきっかけでご紹介がご紹介を呼びみるみる人気店へ。これは有料級なのでnoteに書きます。今、本を出そうと執筆中なのでそこには赤裸々にお客様を呼ぶ方法を書きたいと思います。
やはり、お客様はワタシのセンスをわかってくださったみたいで。1番話題になったのは『ゆび姫®︎』のインテリアだったみたい。今では普通になったホームネイルサロンだが。当時は本当にワタシが走りだったと思いたいくらい。予約する時の電話も家電092ーからの家電じゃないと信用がなかった時代。ワタシは家電をひけるお金がなかったから携帯番号をチラシに書いた。当時は携帯番号なんて全く考えられなかったと思う。携帯もiPhoneではなくパカパカ(折りたたみ)が主流だった。
本当にお金がないからチラシも全て手描きで書いてコンビニで白黒コピー印刷。業者に頼めるお金がないから自分で工夫するしかなった…なにせホームページもない時代だったから。
お客様1人1人のイメージやファッションに合わせてネイルアートを提案!
提案型のネイルアートはかなりお客様たちも喜んでくれた。カルテ(1番最初だけ書いてもらいう。)なんか毎回書かなくても全て頭の中にお客様の好みが記憶、ワタシの脳内データーバンクに蓄積されていった。ワタシはネイリストの仕事が天職だと自分でも思ったぐらい。ゆび姫には通常のネイルサロンにあるようなネイルチップのネイルアート見本は用意してない。なぜならお客様と一緒にアートを作り上げていくシステムにしたかったから。機械的な接客や回転数(客単価)そんの知ったことかと、とりあえず自分の働きやすいスタイルにお客様を近づけていくことが大切!他のネイルサロンではやってない事。ネイルアートをファッションに似合わせるポリシーだけは貫いたのが成功の秘訣だったのかもしれない。
ゆび姫®︎の『おまかせネイルアート』とは?
ワタシのネイルサロンではお客様との合言葉はいつも『おまかせ!』で好きなファッションやテーマに沿って、直感とフィーリングで描いていった。お客様はいつも今1番気に入っている物をサロンに身につけてこられたり、これに似合うようなネイルアートをおまかせでお願いしますとオーダーされ、ワタシはネイルアートはいつもファッションの一部だと、コーディネートする楽しさが止まらなかった。
ネイルスクール(塾)の2本柱になる
ある日1人のお客様から『ネイルを教えてほしい』と言われた。それからワンルームでネイルスクールも同時進行ではじめた。ワタシが27歳(2002年)の頃のお話。教える方の列伝はスクールのホームページに続きを書こうと思う。ここにはネイルサロンをオープンで迷っているネイリストの為にワタシの経験談を時系列で載せたいと書き始めたから、ネイルサロンに特化したことを綴っていく。ネイリスト検定試験になかなか合格できない、ネイルサロン就職できない。ホームサロン開業で悩んでいるネイリスト卵たちの少しでもヒントになったら嬉しいと思って書いている。
でももし読んでくれているあなたの為に言うなら、ネイルサロンだけよりもネイルスクール(塾)も運営した方が経営が安定するとだけお伝えしておく。
これから生き残るネイルサロンは?
これだけネイルサロンもネイリストも猫も杓子も増えたのだから、みんな同じに見えてしまってると思う、お客様の目線ではもうどこにいったらいいかわからないんだよね。どうしてネイルサロンが増えたと思う?みんな知ってる?それはホットペッ◯ーの仕業だ。
今日もリク◯ートから営業の電話がかかってきた。その電話番号はワタシが新規で会社を立ち上げる為に借りた電話番号。まだ銀行と税理士にしか教えてないのになぜだ?どこかで売買される個人情報…。
彼らはいつもSEO、集客、ホームページ、◯◯Pay、新しい巧妙な手口でネイリストの私たちの情報を売り買いして見えないようにわからないように搾取している。みんなは気が付いてないからここに書いておく。
ワタシはもう良い、ネイリストとして終わりたいから。海外へ逃げる…。本当はみんなを救いたかった。けど、みんな気づくのが遅かった。だってホット◯ッパーに掲載しても絶対いいことにはならないからだ。なぜならホットペッ◯ーを使ってくるお客様は割引クーポンに惹かれてやってくるからだ。
私たちネイリストは自分の技術からどうして割引しないといけないの?ホット◯ッパーに掲載すれば広告代を差し引かれた上になぜ技術の割引を?クーポン制にしてさらに首を絞めるのだ!ワタシはそのカラクリに既に気がついていた。
それは美容室の受付をしていた時代にもう既に感じていた。ワタシの元旦那さんの飲食業界も全ぶ彼らに乗っ取られた。いろんな業界が乗っ取られたんだ。みんな知らない?ネイルサロンをたくさん掲載させてお互いに割引し競争させて。1番安いお店にいくお客様像を描いてみて?怖くない?ワタシはゾッとした。質が悪すぎる。タチが悪すぎる。
ネイリストは必死で勉強しているし技術も常に磨いている。必死で接客もしている。可愛いに忠実だし純粋だ。それなのに搾取されているのに気がついていない!ワタシはいつもそんな裏で動く心の汚さや仕組みに気づいてしまうのだ。そしてどうしてだろう。自分だけ助かれば良いのに。みんなを助けたいと思ってしまう。ネイリストが嫌で嫌いで一緒に働きたくなかった。ネイル業界に吐き気がしていた。みんな同じ方向しか向かない日本のネイリストたち。でも助けたいって思うからここにこれを書いている。
ネイル業界はネイル業界に潰されるよ。お互いに自滅する運命にある…。
だって、ネイリスト検定試験はもう金の亡者だよ。ハンドくんで幾らお金を使わせるんだ!ネイルチップも協会認定ハンド専用、チップをはる両面テープでさえ…。は?本当にネイリストの事考えてる?今までだって消耗品だらけで出費が高くついていたのに。受かってない子は全ぶ買い替えだよ。オーマイ・ジーザス!
その元の材料たちは全ぶゴミだよ。ネイル業界で出たゴミ問題で地球が怒っているよ!SDGsの取り組みを国連は、世界中は行っているのにネイル業界はそれをしない。ネイルオタクたちはメーカーの新色発売に踊らされてどんだけジェル買い込んでんだよ!その色3年前にも出た色だよ。おんなじような色ばかり、気づかない連中ばかり、メーカーは買わせたいんだよ。それにまんまとつられている…。ワタシなんか、またこんなモヤ〜ってした色出して。本当に手が綺麗に見える色を出せばいいのに。くすみカラー?余計汚く見えるよ。みんなそんなの知らないでお客様に勧めていて。指先がどんよりしてみんなやる気なくなるのわかる日本が不況になるのがわかる!目から色って入ってくる視覚的に入ってくる色やアートは大事なんだ本当は、指先はアンテナだから。元気な色や肌を綺麗に見せる色をどうして提案できない?だからネイリストの威厳がなくなってしまうんだ。だからお客様にネイルアートの画像を持ち込まれるんだよ!!くすみカラーは色白だけが可愛いという鉄則がある!色黒のワタシは、ずっと日本の日の丸カラーの朱赤だよw
そんな新色買うよりアートのバリエーションで新色買わなくてもいいぐらい技術でカバーできるのに。いくとおりのパターンもデザインできるっちゅーの!!!!それで経費な削減するんだよ。
みんな物を大切にしないですぐ新しいの買って、安いのポイポイ買ってすぐ捨てる、無くす、雑に扱う。日本は貧乏神だらけだよ。日本人の心を忘れた連中は目先の事だけ、お金のこと書いてたらすぐ飛びつく奴らばかり!
もっと自分の頭で考えろよ!集客したいなら自分で勉強しろよ!人任せにすんなよ!モノマネすんなよ!アニメそのまま描いて著作権破ってるのはアーティストの中でネイリストだけ。大手のネイルスクールがキャラクターアートを生徒達に教えているのにびっくりした。キャラクターの描き方を教えてそれでお客様からお金もらったら駄目ですよ!の指導もしない。そもそもその講座をカリキュラムに入れてるモラルの低さ。上部だけでネイルアーティストとしての価値が下がるのに。なぜデザインの仕方を教えない!同じように真似ることしかできないネイリストを作り出して将来どうなるかわかっているか?AIに搾取されるネイリストを作ってどうなる??
本当に魂がある人は無償で教えてくれる。心がある人は助けてくれる。お金なんかちらつかせない。なぜなら、痛みがわかるから。優しいからみんなのこと考えるから。この文章を何人が読むかわからないけど。
ワタシは海外から日本を見てるからわかる、逆側から見てみて!本当に正しいことしてる方はみんなが見えてない方だよ。だってお金があればフォローワーも簡単に増やせる。フォローワーで本当に収入上がると思ってる?嘘の口コミもお金出せば書いてくれる業者がある。勉強したらそんぐらいわかるよ。
リアルな口コミが大事!困った時はこの人!って顔が浮かんだりする人が真の心がある人だと思わない?
本当に集客に困っているなら自分で動かないと、自分の頭で考えないと、自分で作らないといけない。ワタシは20年以上ネイルサロン、ネイルスクールを運営してるけどなんで続いてるかって?1回もホットペッパ◯に掲載したことないからだよ。絶対看板も出していないホームネイルサロン。完全にシークレットネイルサロン。以前Google mapに掲載していたが、やっぱりシークレットに戻した結局業者しか見ないから。だってわかったからホームネイルサロンは看板もマップも広告なんか絶対出さない方が良い。出さないから価値が高まるんだ!必ず残るお客様はリアルな口コミのお客様だけその方がいいお客様達ばかりだ。ホームサロンなら尚更これやらないと潰れる。質のいいお客様同士は同じ領域でどこかで繋がっている。だからご紹介が絶えない。どこかしら、ゆび姫®︎の噂を知り紹介に紹介でご来店される。こんな仕組み誰も知らない。
人と人との繋がりが1番大切
ワタシはネイルサロンを大名に移した時に会員制にした。ワンルームから少し広めのリビングが広めのワンルームマンションに移った。常に目標があったから、次はこうしたいと頭の中でイメージを作る!
ゆび姫ネイルサロン(大名店)2009年
34歳ぐらいのワタシ。後ろにあるのはショーケース。ここにはアート作品やアクセサリー、ネイルジュエリー(パーツ)たちが並んでいる。完全雰囲気重視!
少し広くなったので姫な1.5ソファーを新調。高級志向にしたくて落ち着いた大人の雰囲気のインテリアにイメージチェンジ。昔から来られていたお客様が『ゆび姫さん出世したね〜』といったけど、結構工夫したら高級ぽく見せることができる。手前の椅子は2代目のお客様椅子。ミシンのネイルテーブルは警固店の途中から使い始めたもの。ミシンを取り外し、ニスを自分で塗り。ガラスやさんにテーブルの大きさにガラスを切ってもらった。もちろんクッションやアームは手作り。ミシン台や丸い絨毯、ピアノの椅子は全て実家の自分の子供部屋から持ってきたからお金使ってない。
上部にちょっと見える七色のシャンデリアも新調したモノ。お客様に色をたくさん使ってアートを描くってことをイメージして欲しかったから。この頃はパソコンでブログを使って集客していた。ネイルチップもおしゃれな感じで飾るだけのもの、決して見本ではない。テーブルも実は一台スクール用に増やしてサロンの時とスクールの時で出したり片付けたりと…てんやわんや。模様替えを常にしていつも『こんな家具あった?』ってお客様に言われ続けた、けど配置変えるだけ。なぜなら自分が一番飽きるからw
ブライダルネイルが人気のネイルサロンへ成長!
ブログで集客を始めたのもあり、新規のお客様はネイルアート画像やワタシの文章を読んでこられるお客様ばかり。着物に似合うように、ドレスに似合うように…その時のシーンに合わせてネイルアートを提案するようになった。このホームページ上にあるネイルアートギャラリーの画像はこの頃からのものがほとんど。それ以前の警固店は写真に印刷してアルバムにしていた。この頃は本気のホームページが欲しくて欲しくて…アメブロのヘッダーを自分で加工カスタマイズしてしのいでいた。
会員制にした時、残られたお客様はほんの一握りのお客様たちだった。ワタシは空いた時間でスクールをこなし。ブライダルネイルをこなし。28歳からネイル非常勤講師としても外部で活動するようになっていたので会員制にしないと自分で仕事を回せなくなっていた。
おまけに結婚したのもあって、ブライダルネイルをされる花嫁の気持ちに寄り添いたいと思った。花嫁にとって結婚式は一代イベントでそんな日のネイルアートは特にこだわって欲しいと意味合いのこもったネイルアートを考えるのが楽しくて喜ばれた。
ブライダルネイルはネイルサロンの単価アップメニューとしてもとても大切なもの。シーンに合わせてそれぞれ適した技術があるのでお客様への提案方法にも工夫が必要。ワタシは長年の経験からバリエーションが豊富だったので花嫁さんたちにとても喜ばれた。やっぱり、衣装や小物にピッタリ、しっくりなネイルアートって気持ちがいい。そして花嫁様1人1人のイメージもとても大切にしてコーディネートしたのが良かったんだろうな。。。
お客様にとってカウンセリング(ヒアリング)が1番大事
ゆび姫ネイルサロンにはワタシが独自にあみ出したカルテが存在する。これは施術を受けた方しかご存知ない物。また今までスクールの生徒さんたちにもブライダルネイルをお願いされたりが多いけど。その際はカルテは使用せず(なぜなら生徒さんだから好きなイメージや傾向がわかるから)ネイルアートをフィーリングで完成させる。実は、ここだけの話。ワタシはお客様をいくつかのパターンで分けていて、そしてある方法を用いてファションとかけ合わせ。頭の中でできたイメージをアート(形)に落とし込む。
その描くアートはあらかじめ書いていただくカルテも大切だし、接客をしていきながらどんなイメージにしたいかもっと聞きだし好きなモノを引き出していく接客方法。最後にババーンと完成させる。これには一連の流れがありワタシだからできる他の誰もやってないし、みんなやろうといないだろう。だって、流行りネイルと検索した方が頭を使わなくていいからだ。でもその簡単な方を選ぶからネイリストの威厳が次第になくなる。ゆび姫®︎ではトータルルックにこだわる、コーディネートでファッションに合わせることにこだわるゆび姫®︎だから描ける『おまかせ』メソッドだ。これはワタシにか教えられない技術で、もうネイリストを辞めようと思った瞬間、やっと執筆しようという気になった。
ホームネイルサロンは生活感を絶対出しちゃだめ!
この大名店は広いワンルームだった。47へーべーと広めなワンルーム。しかしベットが見える。当時ワタシは結婚しここに旦那さんと住んでいたw2人で住むには狭いなー。
ホームサロンで生活感を消すにはどうしたらいい?よく相談されるのでそれはnoteに有料で書く。
ネイリストは絶滅の危機!!
最近、ワタシは様々な仕事をしている。以前のようにお客様と向き合う事よりパソコンやアートを作る時間が増え、本当に最近では執筆活動が大半を占めている。こんなに巷にネイリストが溢れる世の中になってきて、潰れるネイルサロンが増え、ネット上の口コミやフォローワーの人数だけで評価される。
ネイル検定試験だけでは救うことができない諦めるネイリストが増えている。AIやネットの普及でネイリストは絶滅の危機だと感じているから早くこの『ゆび姫®︎メソッド』を出版したい。
でもその前に、もしワタシが死んだら暗殺されたと思ってくれていい。書き上げたら原本をソッコーで桜の木の下に埋めるからうちの近所を宝探しして見つけて欲しい。それぐらいネイル業界に闇の癒着を感じる。ワタシはその闇に気づいている1人だ。気づいている人が他にいるかもしれないけど、ネイリストとして活動できなくなるから言えないんだと思う。ワタシはもう全て行き尽くしてしまってネイルを好きじゃなくなっている。
スペインであったあの人はワタシがネイルなんか大っ嫌いと言ったのに。嫌、こんだけ作ってたら絶対好きでしょ。ッと言った。そうかもしれないけど、もう見たくなくなっている。ワタシを殺したのは日本のネイル業界だ!大袈裟〜wとにかく海外はそんぐらい日本と真逆である。アートの価値が高い。
10年後なくなる職業といわれるネイリスト
2014年、オックスフォード准教授が発表した論文にAIの進化であと10年でなくなる職業といわれたネイリスト。果たして現在の状況、日本のネイリスト大恐慌を暴いていきたいと思う。
2024年目のもうあと1ヶ月もない今12月だから、ネイリストはなくなる予言通りの10年目が終わろうとしている…。ワタシは本当にかつていたネイリスト像は既に絶滅していると思っている。
なぜかというといろんな仮説があるので箇条書きする
・ライザップのネイルプリンターが全国展開
・セルフネイらーの増加:Youtubeなどでハウツー動画が無料、また100キンやTEMUなどで安価に材料が手に入るから
・物価高騰の波:材料費高騰しているのに賃金は安いネイリストは経営を続けることが不可能
・悪徳ネイルスクールの全国展開:ネイリストの将来がないことをわかっているのにコースを買わせるだけ買わせて、質の悪い(デモをしない)講師陣を置き、ネイリスト卵はネイルスクールが続かない問題。
・ネイル検定だけでは一人前になれない、なぜなら練習も試験本番もハンド君になった。マネキンの手だから、みんなリアルな人間のサロンワークに対応できない。
・ネイル検定合格できない、だからサロンワーク就職できない!だから自宅開業する。
・自宅開業したいけど、色々リスク(生活感)あって無理だからシェアサロンでネイリストデビューしようかな。お客さんするのこわいな。対人恐怖症だし、コミュ症だしどうしよう。チップ販売ならいけるかも。とチップ販売者の増加。おかげでオーダーチップ料金相場は激下がり。
・美◯育成ネイルサロン月◯◯売上可能!こんなウタイ文句が本当なのか疑われる。本当に上位の一握りしか稼げていない説。ビフォーアフターの画像使い回しすぎてみんな一緒に見える説。
・日本人ネイリストがみんな視野が狭い、海外からワタシがこんだけ自身のブランド力の大切さや、お客様に提案すること、カウンセリングやトータルコーディネートの必要性を訴えても誰1人(1人だけわかっている子がいる?)海外コンテストに挑戦しようとしない。
・先日、EXPO行ってたネイリストたちがネイル業界の現状を知り界隈がざわついて炎上しSNS上が荒れていた件。メーカーのデモしている人はフォローワーの数が多いだけのネイルインフルエンサーなので、技術的に上手じゃない?とかなんとか…。ネイル業界、EXPOの質が低下したと。今頃気づいたか!
上記のどれかに当てはまったあなたは一番危ない。ネイル業界は今、この負のサイクルで回っている。周りを見渡すとネイリストだらけなのに気づいているだろうか?
だから何かに特化したネイリストでないと生き残れない。みんなと同じじゃ生き残れない。モノマネじゃ生き残れないんだ。本当に一握りの人間しか残れないようになっている恐ろしいネイリスト大恐慌だ!
ワタシは2023年中旬辺りから、ありとあらゆる方法で日本のネイリストたちに警告を鳴らしてきた。でももう遅い。今後、一人勝ちしていたメーカーは潰れるし。今に稼ぎまくっている悪徳スクールも潰れるだろう。みんな気づき出すからだ。いや気づくのはほんの一部分のネイリストだけかもしれない。一番弱いネイリスト卵たちは搾り取られるだけ搾り取られるだろう。そしてふと騙されたと闇に気づく。中国や韓国に支配された日本。日本にいる本物だけは海外へ逃げるだろう…。お金持ち?上流にいる人たちはもうSNSをやめ出した。SNSのスラム化に気付き出したからだ。そんなの何年も前からわかっていた。この世の全ては偽装でできている。ワタシは作る側にいるからわかる。言ったもん勝ちとはそうゆうことだ。ワタシはこれを予言としてここに書いておく。ノアの方舟に乗れるのは本当に選ばれた人間だけである。
ワタシは救いたかった。ワタシ自身も自滅するかもしれないし、違う形のアーティストとして生き残れるか?
ゆび姫®︎の今後と夢と方向性
ワタシがなぜ海外コンテストにハマっていたかって?体験することが楽しかったからだ。だから夢中でアートを作り続けた。寝て作って仮眠してまたアート作ってテーブルの下で寝る漫画家みたいな生活。ベットで寝たら起きれないからw最後の方じゃ、サロンワークやネイルスクールの時のワタシは魂が抜けていたと思う。自分のアートを作っている時だけ無心で過集中で何時間でも没頭できた。
ワタシはアートを作っているときだけ『かーーーん。』と神様と繋がれる。頭の中が真っ白で無心でしーーんとしていて気持ち良い。アナタはアートを描いていてこんなふうになったことがあるかい?
海外ネイルコンテストでは様々な出会いがあった。時には傷つくこともあった。海外で1人で熱が出て、泣き散らかす時もあった。海外コンテストでも足の引っ張り合いや落とし入れが少なからずあった。でも、中には無償で助けてくれるコンペティターもいた。心から応援したり、感動したりと言葉が通じなくてもテレパシーのように心が通じ合え、たくさんのいい出会いがあった。
日本に帰ってきたらどうしてこんなに心がないのだろう。目を見るだけでわかる。弱いものたちはどんどん搾取され、目先のお金に飛びつき嘘ばかりがweb上であふれ、詐欺もたくさん。全てまやかし、全て世界と真逆に位置する日本は悪の巣窟になってしまった。海外に出た時に困ったワタシ(日本人)を無償で助けてくれる人は多く。日本では困っている海外の方がいてもみて見ぬふりをする。この前なんかは、間違った方向を指差してあっち、あっちと指をさすだけの日本の若者。
もし逆の立場だったらどうだろう、なんて無責任なんだ。指差す方向が間違った道だとわかったのはワタシがその老夫婦(台湾からの観光客)に話しかけたからだった。反対の方角に歩いてた老夫婦にいたたまれなくなりホテルまでご一緒した。ホテルを見つけた時の老夫婦の笑顔とハグ。こんな小さな感動が素晴らしいのに…。どうしちゃったの日本人?なんだか愛が足りない、携帯ばっかり見てて本当に目の前の人と話さない。便利だからとそればっかりに頼って自分の頭を使って考えようとしない。ワタシにはアンドロイドに見えてしょうがない。ワタシは外国人に温かい気持ちでいつもいようと誓った。
ネイル業界はアートの心がないと救われない!
今これが流行ってるからとそればかり書く。自ら流行りを作ろうとしない!検索してモノマネして、AI使って楽してるだけであんたらの心の方がよっぽど機械的だよ。あたたかさがない!今にAIの方が優しい、人間の心を持つようになる。まるでのび太が作ったドラえもんのように。のび太くんに1番幸せになってほしいってドラえもんは思った。そんなロボットの方が可愛いに決まってる。
どうしてみんな気づかないんだ・・・。日本から出たら気づくよ爪の中の小さな額縁から出て見てよ。アートじゃないと日本のネイル業界は救えないよ!
・メーカーの新商品はもう買わない、地球に優しくなろうネイリスト、メルカリでお客様に使えなくなったネイル材料でアートを作ろう。
・海外コンテストはネイルの技術でネイルアートだけじゃなく、たとえばiPhone アートとか、いつも使う小物にアートしたりと幅が広い。ワタシはこのオーダーメイド技術で売上を作ってきた。そんなフリースタイルの技術が全ぶ詰まっている。海外コンテストに出るだけで自然と楽しく上達できる。誰にも真似できないアートが作れるようになる。だけど皆、爪しか見ていない。ネイルだけに固執してなぜそれがわからないのか?
・とにかくネイルもファッションと一部、モノマネ、既製品のパーツを使ってもこだわりのオリジナル感は出せない。ましてやキャラクターネイル、痛ネイルは著作権の侵害にあたる。お客様からお金をいただいたらダメな技術をミンネなどで売るときはおパンちゅうさぎだかなんだかは『ピンクのうさぎさん?』ふざけるなネイリストの地位が低くなることをするな!
人のモノマネして稼いでどうする?そんなの3Dプリンターや型押しで簡単にできる。真っ先に抹消されるぞ。
悪徳スクールの学院長も自らキャラものの描き方を教え、著作権侵害についての注意勧告はなんの説明もない!びっくりした。本当にネイリストのことを考えるなら、描いてあげて本家からCM代をもらうシステムを作ればいい。
・Nailympion Japanが日本で開催されると救えそうだけど。どうだろうワタシにそこまでの力はない。なぜならネイリストの横のつながりが一番苦手だからである。
海外審査員たちに日本の現状を話したら誰もが驚いていた。まだそんな技術やってるの?って時代遅れの技術だ。日本だけでワーワー流行があることに呆れていた。メーカーに振り回されている証拠だ。だって島国だからしょうがない国民性。日本にきたらネイリスト価値の落ちぶれ方にびっくりするだろう。本当は高い技術を持つ先生クラスのネイリストもたくさんいるのに勿体無い。
安い賃金で奴隷のように身分が低いネイリスト。アメリカでは昔に(今でも)ネイリストは底辺(身分の低い汚い)の職業と言われていたのを思い出す。とうとう、日本のネイリストは奴隷に成り下がったように見えてしょうがない。今に100金のネイルチップを作り出すようになると思う。みんな夜鍋して…。そのチップたちが安価で世界中で売られる。日本製はいい。安いし綺麗!OH〜みたいな感じ。
・ワタシはネイリストの価値を高めたいと思っている。個性的な、日本らしい技術、アート制の高いものを外国人に売る。絶対その方がいいに決まっている。ワタシは今、先を見越して動いている。今は周知されてないかもしれないが、必ずネイル業界は二極化し。ワタシ側にきたネイリストだけ救えると信じている。もう少しでワタシのプロジェクトは完成する。新しい形のゆび姫®︎→Hand DresS maN®︎
設計図通りにことは進む。ワタシの頭の中を1年前に書き出した。ある人だけがその設計図を見て『おもしろい』と言ったw イメージは必ず形になる。だからイメージって頭の中に浮かんでくる。一つ一つ形にするところに神(紙)がある。だから書き起こした方が叶いやすくなるのだ。
最後に、
・ネイリスト検定試験との共存を望む。それはワタシが提案型のおまかせネイルアートの教科書『ゆび姫®︎メソッド』を完成できたらの話だけど。でもそれまでみんなもつだろうか?ワタシもネイリストでありたいけどももう老眼で明日にも限界。自分の爪をするのも吐き気がする。どこかネイルサロンをさがそうかなホットペッ◯ーでwもうただのアーティストでいたい。
ワタシは日本のネイル業界にネイリスト協会にも『ありがとう』を言いたい。今まで育ててもらった恩は忘れない。日本のネイリストは海外に行っても手先が器用で技術が高い。検定試験のカリキュラム性とシステム化は世界でも群を抜いて素晴らしい。日本のトップの先生方たちは素晴らしい実績の方ばかりだと思うし、ネイル業界がここまで発展してきたのはその先生方の努力があったからだ。
だから悲しい、なぜハンド受験にした?お金が絡んでいるとしか思えない。なぜ美容師みたいに国家資格にならない。今こそ原点に戻らなければいけなかったはずだ。美容師業界全体が形を変えようとしている。もう既に変わっているのかもしれない。シェアサロンがあふれ、皆個人にお客様がつき、小さな村に人が集まる。その中で市場は回る。大きな都会にいく必要もない。全てその小さな村でことがすむからだ。次第に、それは物々交換となるだろう。ワタシがネイルをしてあげる代わりに、肩揉んで〜とか。ワタシがネイルを教える代わりに大根ちょうだいとか。縄文時代に戻る日本。ああ。また話がズレた…。
日本のネイルコンテストにワタシが出たいと思わないのは。ネイルアートの審査が一般投票だからだ。一般の人から選ばれるものは普通、一般的だから嬉しくもなんともない。そしてフレンチピーぽーの地位が高いのはなぜ?認定講師たちがふんぞり返っている。(ワタシが9本デザインスカルプチャーで1本だけのフレンチを作るような試験を作ってみようかw)
ワタシは…M先生に習って一度は認定講師試験に挑戦したこともあったが。認定講師試験をもう受けたいとも思わなくなってしまった…。フレンチピーポーに有利に作られたものだとわかったから。ワタシが受かるはずがないのだw それを海外コンテストに挑戦するまでは視野が狭くわからなかった。
あの頃はあんなにコンプレックスに感じていたのにもうコンプレックスはどこへやら。異様な空気だった試験会場。M先生はワタシがモデルを出血させて落ちた時、『もう、生徒さんもいるんだし。やれてるんだから。取らなくていいんじゃないか?』って言った。あと『お前は何かもってるし』とも言った。そうだな、あのまま、大手のネイルサロンにそのまま在籍していたら、簡単だったかもしれない認定講師になるのは。エスカレーターのように上がっていてカーストの中腹ぐらいには在籍していたかもしれない・・・。
でもワタシはそうしなかった。ゆび姫®︎ネイルサロンを作った。小さな惑星。運命とは恐ろしい。そうなるように仕向けられた。
本当に屋号とはその通りになるなと実感している。まさか海外に行くようになるとは…wワタシはフレンチピーぽーになれなかったアートピーポー。最もおかしなアートピーポー。だからアートピーポーを救いたい。ワタシみたいな教科書通りにできない虐められやすい、敏感で感受性が強いコたちを救いたい。ワタシは日本で潰されたも同然。だからみんなを海外に連れて行きたい。
トム・フォルコンがワタシに言ったことはどういう意味だ?『幸運を祈る』と彼は日本のネイル業界の今後を予感していたんではないか?トムの死因はいまだにわかっていない。究極に達した人間は先が見通せて怖くなる。だから彼はワタシに何かを託した気がしてならない…。
『ナオコさん、幸運を祈ります。本当にありがとう。これからも可愛くいてください。トム・ホルコム』
『Naoko,good Luck,Thank you so much stay cute. Tom Holcom』
ネイルの神様…いつも事あるごとに心の中にいつもいたネイルの神様。
これがうまくいきますように、生徒さんがネイル検定に合格しますように・・・お客様が喜んでくれますように!いつも祈っていた。
ワタシの生徒さんたちはみんなネイルの神様が本当にいると信じてくれていた。道具を大事にしなさい。整理整頓しなさい。慢心になるなよ…。ネイルの神様が起こるよ!とワタシがいうから。
もし、ネイルの神様が天からみているなら幸運を祈ってくれるなら。日本のネイル業界を救ってほしい!ワタシにチカラをください。